高尾山基本データ
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概要
高尾山は東京都八王子市、関東平野の西の端に位置します。
平野から山地に変わる場所にあるので、登山口のすぐそばまで電車が通っていて大変アクセスが良く、また展望台からは遮る山がないので都心の街並みを一望することができます。
標高は599m。
この「599」という数字は、高尾山のシンボル的な数字として「TAKAO599MUSEUM」などの名称に使われています。
決して高くはなく低山ですが、山の中にはぎっしりと魅力が詰まっています。
美しい自然を豊富な登山道で楽しめ、グルメや薬王院などの見どころもたくさん。
アクセスも良いうえにケーブルカーやリフトで山腹まで気軽に登れるため、日本屈指の観光地となっています。
2007年にミシュラン観光ガイドで三つ星に認定されたことをきっかけに登山客の数は増え、その数は年間260万人とも300万人とも言われ、世界一の登山者数を誇ります。
[関連]
・アクセス
・見どころ
・高尾山はじめてガイド
登山道
高尾山には1〜6号路の自然研究路と稲荷山コースの7つの代表的な登山コースがあります
これらの他にも山内のマイナーなコースだったり奥高尾など周辺の山域を含めると100以上のコースがあるので、初心者のみならず登山経験者がリピーターとして何回も訪れています。
[関連]登山コースの地図・解説
また、高尾山の登山道は「関東ふれあいの道」と「東海自然歩道」の一部にもなっています。
自然
高尾山は古くからその時々の為政者に、山内の木々をはじめとした自然が保護されてきたため、豊かな自然が残されています。
現在、高尾山および周辺の山域は「明治の森高尾国定公園」「東京都立高尾陣場自然公園」に指定され保護されています。
植生・樹木
豊かな自然は、気候にも理由があります。
高尾山は暖温帯と冷温帯の境界に位置するため、それぞれの気候に適した植物が生育しています。
その境界は1号路と言われており、南側の3号路や2号路南側コースは暖温帯になり、カシなどの常緑広葉樹林が広がります。
北側の4号路や2号路北側コースは冷温帯にあり、ブナ・イヌブナなどの落葉広葉樹林になっています。
珍しいのは、ブナは本来もっと寒い気候で生育する木であり、高尾山の気候だと存在しないはずの木。
高尾山にあるブナの木は、江戸時代にあった「小氷期」と呼ばれる寒冷な期間に発芽したものと言われています。
そのため、現存するブナの木が寿命を迎えると新しいブナの木は生えないとされています。
現在、数十本のブナの木が確認されていますが、立派な木は「美人ブナ」「駅前ブナ」などの愛称をつけられて登山者に愛されています。
また高尾山では古くから杉が植えられ、現在でもその名残を見ることができます。
薬王院では「杉苗奉納」という寄進の習慣があり、杉の木とは古くから密接な関係がありました。
薬王院周辺や参道には、東京都指定天然記念物の「高尾山のスギ並木」や「飯盛スギ」、八王子市指定天然記念物の「たこ杉(蛸杉)」など樹齢数百年の巨木があります。
人工林としては、5号路にある江戸時代に植林された「江川スギ」が高尾山最古のものとなっています。
植物
高尾山には約1,600種もの植物が自生していて、これはイギリス全土とほぼ同数と言われています。
高尾山で最初に発見された植物も多くありその数は60数種類。
タカオスミレ、タカオヒゴダイなど「タカオ」の名前がついた植物も多くあります。
春にはたくさんの種類の花が咲き、多くの方がカメラを持って観察に訪れています。
スミレが10数種類観察できるので、高尾山は「スミレの山」とも呼ばれています。
[関連]高尾山の花
動物・昆虫・昆虫
高尾山には数十種類の動物たちが生息していますが、なかでも有名なのは「ムササビ」。
その愛らしい姿や木から滑空する様子が親しまれ、高尾山では天狗と並んでムササビをモチーフにした像やグッズが多く見られます。
昆虫も多く生息していて、日本三大昆虫生息地のひとつと言われるほどの昆虫の宝庫。
昔から昆虫観察の場として知られています。
(現在、昆虫の採取は禁止されていませんが、自然保護の観点から自粛が呼びかけられています。採取ではなく観察にとどめておきましょう)
人気なのは渡りをするチョウとして有名な「アサギマダラ」。
5〜10月頃によく見られます。
また、野鳥も多くバードウォッチングの場としても有名です。
夏鳥、冬鳥、留鳥など、1年を通して100種類以上の野鳥を観察することができます。
歴史
高尾山は奈良時代の高僧である行基が744年に開山したと言われています。
その後、南北朝時代の1375年に京都醍醐寺の俊源が入山し、荒廃していた薬王院を復興し中興の祖となります。
高尾山の歴史は、近代に入るまではそのまま薬王院の歴史になります。
歴史資料で高尾山の記録が残っているのは戦国時代から。
薬王院は八王子城を築城した北条氏照の庇護を受けていました。
江戸時代には薬王院は、ふもと八王子のみならず江戸や遠方でも多くの信徒を集め、隆盛期を迎えてます。
「富士講」と結びついた高尾山信仰で多くの信徒が高尾山を訪れています。
幕府も高尾山の森林保護政策を行っています。
明治時代になると薬王院は神仏分離令により影響を受けたり、広大だった寺領を返上しなければいけなかったりと厳しい時代を迎えます。
昭和に入るとケーブルカーが営業を開始。
昭和初期は、近くに造営された多摩御陵に全国から人々が訪れ、あわせて高尾山へ訪れる観光客も増加したようです。
1967年(昭和42年)に京王高尾線が開業すると、登山客や薬王院への参拝客が急増します。
2007年のミシュラン3つ星選定で、日本一の登山客数を誇る山へとなりました。
[関連]高尾山の歴史(詳細版)
年 | できごと |
---|---|
744年(奈良) | 東大寺の大仏造立で有名な行基が高尾山薬王院を開山。 |
1375年(南北朝) | 京都醍醐寺の僧、俊源が入山し、荒廃していた寺院を復興する。 俊源は琵琶滝で護摩修法し、不動明王の化身とされる飯綱大権現を感得したと伝えられている。 |
1560(永禄3)年 | 北条氏康が高尾山薬師堂の修復料として寺領を寄進。 |
1624〜44(寛永年間) | 薬王院の伽藍の形成、寛永古鐘の鋳造。 |
1648(慶安元)年 | 三代将軍家光が薬王院へ朱印地(寺領)75石を安堵(認可)。 |
1729(享保14)年 | 飯綱権現堂が建立される。出開帳なども行われ高尾山信仰が盛んに。 |
1868(明治元)年 | 神仏分離令よる薬王院の受難。鳥居が倒され、修験道が禁止される。 |
1889(明治22)年 | 高尾山全域が帝室御料林となる。 |
1927(昭和2)年 | ケーブルカー営業開始。同じ頃近くに造営された多摩御陵への参拝客が高尾山を多く訪れる。 |
1950(昭和25)年 | 都立高尾山自然公園に指定される。 |
1966(昭和41)年 | 都立高尾陣場自然公園へ名称変更、区域変更。 |
1967(昭和42)年 | 京王高尾線が開業。 明治の森高尾国定公園に指定される。 |
2007(平成19)年 | ミシュランガイドで、最高ランクの三つ星観光地に選出される。 |
2012(平成24)年 | 圏央道の八王子JCT〜高尾山IC間が開通。 |
2020(令和2)年 | 「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」が日本遺産に認定される。 |
評価
ミシュラン・グリーンガイドで3つ星観光地に
フランスのタイヤメーカー「ミシュラン」が発行している観光ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で、高尾山は2007年から連続して最高ランクの3つ星観光地に選出されています。
東京都心から1時間ほど距離にありながらこれだけ豊かな自然が残されているということが、3つ星に格付けされた理由とされています。
これにより高尾山は外国人観光客が増加し、世界的な観光地となりました。
この3つ星選出の背景には、豊かな自然はもちろんですが、地元の方々のごみ問題への取り組みも大きかったと言われています。
観光客が増えるにつれ、ごみも増え大きな問題になっていました。
当初は地元の方々や関係団体で清掃していましたがイタチごっこが続き、ついにはクレームも覚悟のうえごみ箱を撤去し「ごみ持ち帰り運動」が始まりました。
次第にこの考えが広まり、クリーンな山へと戻っていきました。
この努力がなければミシュランの3つ星もなかったことでしょう。
現在、高尾山ではごみ持ち帰りをはじめ「高尾山の利用ルール」が制定されています。
高尾山を楽しむために、ルールを尊重し楽しみましょう。
日本遺産
「日本遺産」とは地域の歴史的魅力や特色をストーリーとして文化庁が認定するもの。
「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」というストーリーが、2020年「日本遺産」に認定されました。
養蚕や織物で発展してきた八王子の歴史を、高尾山とのつながりで紡ぐという内容になっています。
日本遺産は約100件が認定されていますが、東京都での認定はこれが初めてになります。
関東の富士見100景
高尾山では山頂から富士山を眺めることができ、「関東の富士見100景」にも選定されています。
「関東の富士見100景」とは、国土交通省が富士山への良好な眺望を得られる地点を選定するものです。
高尾山は古くには「富士講」と結びついた信仰があったり、毎年冬至の時期に山頂から「ダイヤモンド富士」が見れたりと、富士山とは密接な関係があります。
その他
有名な山なので高尾山が「日本百名山」の山であると思われることもありますが、百名山には入っていません。