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古い絵葉書で見る戦前の高尾山。今はない旅館の姿も

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最近では「タカオネ」などの新しい施設ができて日々進化をとげている高尾山ですが、高尾山は長い歴史を持つ山。
歴史の中で新しい施設ができる一方、消えていく施設もあるなど、変化を続けてきました。

先日、戦前の高尾山の絵葉書を手に入れたのですが、見てみると、今は存在しない施設の姿があったり、同じ場所なのに今とは違う風景があったりと発見がいっぱい。
そんな昔の高尾山の姿を、絵葉書からいくつか紹介してみたいと思います。

「関東霊域 高尾山名勝繪葉書」

まず最初にご紹介するのは、「関東霊域 高尾山名勝繪葉書」。
10枚ほどの絵葉書のセットです。

「関東霊域 高尾山名勝絵葉書」の包み紙。

絵葉書には「3.6.16」という日付のスタンプが押されていました。
現代の感覚だと左から読んで「昭和3年6月16日」という気がしますが、戦前は文字が右から左に書かれていたので、「昭和16年6月3日」とも考えられます。
スタンプ以外に手がかりはないのでどちらかはハッキリしないのですが、いずれにせよ戦前の絵葉書と推測できます。

ちなみに大正時代かとも一瞬思いましたが、絵葉書にケーブルカーの写真があるので、昭和に間違いなさそうです(高尾山のケーブルカーは昭和2年に営業開始)。

では、中からいくつか面白いものをご紹介してみます。
まずはふもとのケーブルカー清滝駅周辺。

「高尾山登山口」

現在の1号路の入口です。
坂の傾斜の感じは現在と同じ雰囲気ですが、現代にはないオブジェがたくさんあります。
歩いている人もスーツのような服装の人が多く、登山というよりは薬王院へのお参り目的の人が多かったのかと思われます。

「高尾山ケーブルカー驛」

ケーブルカーの駅舎。
現在の清滝駅の駅舎とは違う建物ですね。
ちなみにこの時期、リフトはまだ営業していません。(リフトの営業は昭和39年から)

次に山頂の様子を見てみましょう。

「高尾山見晴台」

今では立派な展望台のある山頂ですが、この当時は簡素なあずま屋とベンチがあるだけの野っ原でした。
富士山の眺望は今も昔も変わらず良さそうですね。

そしてこの絵葉書には、現在は存在しない施設の写真もありました。

「高尾山五重塔」

その昔、薬王院の境内には五重塔がありました。
五重塔と言っても人が入れる建物ではなく銅製の塔なのですが、江戸時代の講の先達であった清八が寄進したとされています。
戦前に存在した五重塔ですが、戦時中に金属として供出され、なくなってしまったようです。
ちなみに台座だけは現在も山門(四天王門)の横に残されています。

次は今は存在しない旅館「二軒茶屋」。

「高尾山二軒茶屋及ケーブルカー」

今では「タカオネ」という立派なホテルがある高尾山ですが、昔もいくつかの旅館があったようです。
二軒茶屋は、今の6号路の入口付近にありました。現在では「東京高尾病院」がある場所です。
2軒の旅館があったことから「二軒茶屋」と呼ばれていたようです。
作家の中里介山がこの旅館で執筆したり、近くに草庵を構えた場所としても知られています。
戦前には6号路はなく、二軒茶屋の前を通る現在「病院道」と呼ばれている道が琵琶滝への登山道だったので、二軒茶屋も賑わっていたのでしょう。

ちなみに奥にケーブルカーの車両が見えますが、この当時はケーブルカーの中間地点に「琵琶滝駅」があったと言われています。

「高尾山」

次はシンプルに「高尾山」と書かれた絵葉書セット。

「高尾山」絵葉書セットの包み紙。

こちらには「4.11.15」というスタンプが押されています。
昭和4年11月15日か、昭和15年11月4日か、こちらもいずれにせよ戦前の絵葉書と思われます。

「登山電車乗場(左)ト登山入口」

「関東霊域 高尾山名勝繪葉書」と同じ1号路入口付近の写真ですが、こちらは周りの建物の様子も写っています。
ケーブルカー駅方面にはゲートがあって「鉄道7分 徒歩1時間」と書かれています。
開業したばかりのケーブルカーをアピールしていたのかもしれませんね。

また、現在の高橋家さんの場所には「自動車発着所」と書かれています。
この当時はまだ高尾山口駅まで電車がきていませんので(京王高尾線の開通は昭和42年)、浅川駅(現在の高尾駅)から車で高尾山まで来ることが多かったようです。

「浅川驛」

浅川駅(現在の高尾駅)です。
駅舎は現在のものと同じですね。
(ちなみにこの駅舎は、大正天皇御大喪の時につくられた新宿御苑仮停車場の駅舎を移築した由緒あるもの)

停車している車はタクシーでしょうか?
奥には人力車も写っています。
浅川駅からは、高尾山の他、多摩御陵へ参拝する人が多かったようです。
大正天皇陵である多摩御陵は昭和2年に築造され、全国から多くの人が参拝に訪れました。

様変わりしてしまったものがある一方、昔から変わらないものも多くあります。

「御本堂」

薬王院の御本社(「飯縄権現堂」)です。
そのたたずまいは現在とまったく同じです。
ただ、名称がこの当時は御本社ではなく、御本堂と書かれています。
現在の御本堂は昔は「護摩堂」と呼ばれていて、こちらが御本堂だったようです。

「武州 高尾山参拝記念絵葉書」

「武州 高尾山参拝記念絵葉書」の包み紙。

16枚入りの絵はがきセットです。
日付のスタンプがないので年代が不明ですが、写真の内容を見ると、今まで紹介した絵葉書と同じ戦前の年代と推測されます。

「参道石段」

男坂の写真です。
手すりなども何もなく、この当時は割と殺風景ですね。
絵葉書には単に「参道石段」と書かれているので、当時は男坂とは呼ばれていなかったのかもしれません。

「御本坊」

薬王院の境内奥にある「御本坊」の様子です。
御本坊(大本坊)には一般の人は入れませんが、現在では中にある客殿で精進料理をいただくことができます。
ここの道は今もあまり変わらない雰囲気です。
観光客が立ち入らないところは、あまり変化がないのかもしれませんね。

「琵琶瀧」

水行道場「琵琶滝」の写真です。
琵琶滝と蛇滝は、昔から高尾山の名所として他の絵葉書セットにも登場しています。

その他

セットではなくバラで購入した絵葉書なのですが、面白かったのでご紹介します。
裏高尾の蛇滝口に、昔は「三光荘」という立派な旅館があったようで、そこの絵葉書になります。

「高尾山十勝 蛇滝旅館三光荘」

三光荘の正確な場所は不明なのですが、おそらく、現在は特別養護老人ホーム「清明園」があるあたりだと思われます。
昔は琵琶滝と並んで蛇滝が賑わっていて、裏高尾で宿泊する人も多くいたことがうかがえます。

以上、古い高尾山の絵葉書でした。
いかがだったでしょうか?
個人的には「二軒茶屋」や「三光荘」など、今は存在しない旅館の姿を見れてワクワクしました。
歴史好きにはたまりません。

ちなみにここで紹介したポストカードは、オークションサイトの「ヤフオク!」で見つけました。
僕が購入したときは、絵葉書セットが1,000円ほどの金額で取引されていました。
そんなに高額なものではないので、ご興味のある方は入手してみてはいかがですか?

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