インタビュー

VOL06 高尾山薬王院・桑澤俊宏さん

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1270年前から人々を見守る修験道のお山。今に受け継ぐメッセージ

高尾山の中心的存在である薬王院(正式名称:高尾山薬王院有喜寺)は、今から1270年前に行基菩薩により開山され、現在は真言宗智山派の大本山として知られています。高尾の山中に響く法螺貝の音を聞くたびに、この山が観光や登山だけでなく、信仰の山であることを思いおこさせてくれます。
日々の修行や法螺貝について、また日頃疑問に思っていた参拝作法などを、未来を担う若き僧侶、桑澤俊宏さんにうかがってきました。

インタビュー・テキスト:尾澤 浩一(編集部) 写真:山上 洋平(フライングフロッグス)

桑澤 俊宏(くわさわ しゅんこう)

昭和63年生まれ。大正大学卒業後、平成22年入山。大本山高尾山薬王院・法務部法務課。大学在学中に接した法螺貝に興味を持ち、出身地の近くで法螺貝を使う寺院を探したところ、縁あって薬王院に入山する。

薬王院での日々 お山での修行で想うこと

――早速ですが、薬王院での一日の様子をお聞かせ下さい。

桑澤:はい。まずは朝のお勤めから始まります。始まりには夏時間と冬時間があるのですが、今は冬時間になりますので朝の6時から本堂にてお護摩を焚いております。夏時間になりますと5時半からの開始になります。
その後、信者の方々などからお申し込みをいただいた時に行うお護摩を、9時30分、11時、12時30分、2時、3時30分の5回行っております。
そして普段は午後4時半に一日のお勤めが終わり、その後は原則、自由行動になります。食事や入浴をしたりですね。消灯時間も特に定められておりません。

――皆さん、薬王院に住まわれて修行されているのでしょうか?

桑澤:そうですね、若いお坊さんには寮がありまして、私もそこに住んでおります。今、在籍しているお坊さんは20名程度で、そのうち何人かのお坊さんがお山に住んでいます。
そのほか勉強のために入山している人が5~6名ですね。
他には、近くのお寺から来ているお坊さんもいます。
高尾山薬王院というのは、昔は周りの寺院が支えてきたという歴史があるので、その名残や付き合いもあって、自分のお寺を持ちながら薬王院に来ているお坊さんがいるのです。
現在は、自分のお寺を持っているお坊さんは3分の1くらいでしょうか。私は薬王院専属です。

掛衣(かけい)というお護摩修行の正装でご登場いただきました。
掛衣(かけい)というお護摩修行の正装でご登場いただきました。

――寮でのお食事は、やはり精進料理になるのですか?

桑澤:いえ、皆さんと一緒だと思いますよ(笑)。
ただ、行に入る時は精進料理になります。
精進料理というのは一般のお客様にお出しするときは接待用として豪華にしているのですが、正式に行に入る時は一汁一菜くらいです。
行中はなぜ精進料理かといいますと、動物性蛋白質は摂ってはいけませんし、あと、ニンニクやニラなどの精力のつくものも摂りません。
精がつくと、色々なモノが欲しくなる。これは煩悩が入ってくるということで、質素な精進料理にして行に集中するのです。

――なるほど。高尾山といいますと山伏の印象が強いのですが、山に関連した修行があったりするのですか?

桑澤:そうですね。登山で修験道の教えを汲んで修行するというものがあります。
一つは「峰中(ぶちゅう)修行」という一般の信者さん向けの修行です(信徒峰中修行会)。山の中に入ってお坊さんと修行をしようというもので、毎年、夏と秋の二回行っています。
もう一つは、私たち僧侶だけで行う「富士登拝徒歩連行(ふじとはいとほれんぎょう)」があります。これは高尾山から富士山まで歩くものです。

富士登拝徒歩連行の様子。c)高尾山薬王院
徒歩による富士登拝修行の様子。c)高尾山薬王院

さらに、他のお寺が主催しているお山の修行にも参加します。
例えば甲州百名山という山々があるのですが、春と秋、毎回違うお山を登ります。
すべての山に寺院がある訳でないのですが、山は山岳信仰という言葉もあるとおり、もともと神様が住む場所と信じられているところが多く、大抵のお山には神様や仏様が祀られています。

――山の修行でこれは辛かったという場所はありますか?

桑澤:日光に多気山持寳院(たげさんじほういん)というお寺があるのですが、ここが主催する修行は男体山から女峰山などを縦走しながら登るものなのですが、体力的にはかなり辛いです。
3泊4日、10人~15人の僧侶が参加するものですが、若い人しか行けないですね。

――なるほど。このような修行を通じて、お坊さんの位があがっていったりするのでしょうか?

桑澤:僧階という階級があるのですが、これを上げるには総本山である京都の智積院での修行が必要になります。
ただ、高尾山で行っている滝修行や山の中に入ったりすることは、そういう僧階をあげるためのものではありません。
いろんなお山に行って修験の勉強をさせていただいているのですが、私が思いますに、山での修行は、様々な感情をリセットできることかな、と感じています。

法螺貝に魅せられ、修験道の世界へ

――桑澤さんが、入山されるきっかけはなんだったのでしょうか?

桑澤:実は私は、法螺貝が吹きたかったのです。
大学が仏教系の大学だったのですが、在学中、お正月などに大きいお寺から応援の依頼があるのです。「助法」といいますが、今の言葉で言うとアルバイトですね。
助法で、ある京都のお寺に行ったとき偶然、法螺貝に触れる機会がありました。それ以来、とても興味と関心を持ちまして。
ただ毎回、京都に行くのも大変でしたので、出身地(神奈川県)周辺で探したところ、当山とご縁がありまして、今に至ります。

法螺貝とのご縁
法螺貝とのご縁

――お聞きしたかったのですが、法螺貝って吹くのは難しんですか?

桑澤:そうですね、法螺貝には音階がありまして、大きく分けると「乙(おつ)」「甲(かん)」「ゆり」に分けられます。
乙が低い音、甲は甲高いから高い音、ゆりは更に高い音です。
最初は低い音から練習をするのですが、その後に高い音を出すようになると、今度は低い音が出なかったりと・・・、難しいです。
トランペットに近いと思うのですが、法螺貝の場合は、すべて口の加減で高低をつけるので難しいですね。
音階には更に、乙の前に「調べ」。そして「ゆり」を終わらせる時の音「ゆり止め」があって、細かく言うと5音階に分けられます。

――一人前になるには、どれくらいの期間が必要なのでしょう?

桑澤:一概には言えませんが、音を出すだけなら一年ぐらいでしょうか。私はかれこれ5年くらいやっていますが、まだまだです。
法螺貝には、山中での合図の役わりがあるんですね。例えば、滑落して怪我をした。それを受けて、大丈夫か?といった確認の意味。更には出発や休憩の合図にもなります。ですから、どんなに苦しい状況でも同じ音が出せないといけないのです。
常に出せるか?と考えますと、私はまだまだですね。

――色々な役わりがあるのですね。

桑澤:はい。修験の法具には二つ意味あるのですが、法螺貝の場合は、お話した合図の意味のほかに、お釈迦様の説法の意味があります。
お釈迦様が衆生(生きとし生けるもの)に対して、説法をする際、最初に法螺貝を吹いていたという伝承から、お釈迦様の説法が始まる合図という意味があります。

現在、高尾山ではお山に入る時と、お護摩(ご祈願)を行う時に吹きます。
法螺貝はいつでも吹けるものではないのですが、現在も(東日本大震災の)被災地支援に行っている僧侶がいまして、その際に被災者の方々を元気づける意味で吹くこともあります。
被災地支援も一つの「行」だと考えています。

――いつも吹かれている法螺貝は、何の貝を使っているんでしょうか?

桑澤:これはそのまま「ホラガイ」ですね。
昔は日本近海でも採れたそうなのですが、今はなかなか入手も難しいみたいです。

普段は網に入れて使用しているのを、出していただきました。
普段は網に入れて使用しているのを、出していただきました。

ほとんど貝の状態のままで、口のところ以外は加工していません。
吹き口も、穴があいているだけです。
貝と金具(吹き口)を繋げるのに石膏を使用していますね。

音は、貝の大きさによっても違ってきます。
色々な逸話があって、ある先輩は「雄貝、雌貝で、音が違う」という人もいます。
あと「浮気をすると出ない」と言われています。

――浮気ですか(笑)?

桑澤:おのおの自分の法螺貝を持っているのですが、他の人の貝を一日吹いていたりすると、次の日自分の貝で吹くと、唇が少しおかしくなっていたりとかします。
やっぱりその貝によって癖はありますね。

――何年くらいもつものなのでしょうか?

桑澤:一生ものですね。人によっては、親戚のお爺さんが使っていたという貝を大切に使っている人もいます。
金具の部分はどうしても痛んでしまうのですが、そこは変えられますので、大事に使えば一生ものです。

2ページ:参拝のお作法と観光客へのメッセージ »

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