
小仏城山の頂で三代にわたり登山客を癒すオアシス、城山茶屋
手作りの丸太小屋 千秋崇學舎
――(店の横にある、立派な丸太小屋を指して)あちらの建物は何に使われているのですか?
尾嶋:昭和63年頃の大雪で、倒木などで山の中が荒れたらしいんです。その片付けをしながら、どうせなら倒木を利用して丸太を作り、ログハウス風の倉庫を作ろうかということになって、あれができたんです。

――そうでしたか。小屋には薪がいっぱい積んでありますね。
尾嶋:はい。今もお店の中に“かまど”がありまして、お湯を沸かしながら暖をとったり、そのお湯でコーヒーやお茶を淹れたりしています。
ガスもありますが、かまどで沸かすと山っぽいし(笑)美味しいので。

――建物の入口には「千秋崇學舎(せんしゅうすうがくしゃ)」と書かれた看板がかかげられていますが、どんな意味なのでしょうか?
尾嶋:あれは亡くなった父の兄弟の名前で、千秋(ちあき)・崇(たかし)・學(まなぶ)からとりました。父は學なんですが、學という字が付いたので「舎」を付けると、それらしくていい感じだということでつけたようです。
父の兄弟は6人位いたようなんですが、その中から、資金を提供した人、技術を提供した人、そして場所を提供した人、3人の名前だそうです。内装などは今も未完成なんですけどね。
たまに「学校の研修施設ですか?」なんていうお客さんもいますね。

代々の登山客に愛される城山茶屋
――ところで、ここでお店をやられていて、“よかった!”と感じることは何ですか?
尾嶋:そうですね。父が亡くなってから8年になるのですが、私が小さい頃から顔見知りの常連さんが、今でもお越しいただけるんです。
そういった方々が“父なら、こういう事を言ってくれるんだろうな・・・”といった事を言って下さるんですね。そういう意味でもお客さんに恵まれていると思っています。
――お店の脇に「山と共に70余年 富士に見られて 城山茶屋」と書かれた記念碑がありますが。
尾嶋:あれは父が亡くなったときに、常連の方々が記念にと建ててくれたものです。本当にありがたいことです。
ちなみに父は一見、話しかけ難い雰囲気を持っていて、厳しい人でした。口より先に手が出るような昔気質の人でした。よくケンカをした事を覚えていますよ。
